
ハイキュー!!の名言タイピングはなぜマズイのか。
超有名漫画によるタイピング練習。
一見、何のデメリットも無さそうなこのテーマ。
しかし、そこにはいくつかの落とし穴があった…。
その真相に迫ってみた。
目次
ハイキュー!!とは
「ハイキュー!!」は、2012年から2020年まで古舘春一氏によって「週刊少年ジャンプ」で連載された高校バレーボールを題材にした知る人ぞ知る漫画作品である。
スピンオフ作品や映画化、舞台化、小説も発売されており中高生を中心に非常に人気が高く、週刊少年ジャンプの看板作品の一つと言える。
誰もが感動、そして涙するバレーに対する熱や青春にちなんだ数々の名言が存在する。
あらすじ
宮城県立烏野高校排球部、そのエースであった「小さな巨人」に憧れ、小柄な主人公、日向翔陽はバレーボールを始める。
生まれ持った運動神経や跳躍力があった日向だが、中学時代のバレー部では周囲の仲間に恵まれなかった。
中学最初で最後の公式戦。助っ人を借りてやっとのことで出場したものの、「コート上の王様」と異名を持つ天才セッター影山飛雄のチームに惨敗。
影山へのリベンジを果たそうと決意した日向だったが、入部した烏野高校の排球部にはなんと、その影山の姿があったのだった。
最初は反発していた二人だったが、徐々にチームメイトとしての自覚が芽生え、それぞれの持ち味を生かしたコンビネーション技を編み出す。
日向はボールを相手の識から外し、その運動神経とバネで縦横無尽に飛び回る。
一方、日向のスパイクの手の平に合わせて、影山が寸分の狂いなく超スピードでトスを持っていく。
「神業速攻」や「変人速攻」などと呼ばれるその速攻を武器に、個性豊かなチームメイト達と共に高校バレーの全国大会を目指していく。
名言タイピングとは
さてここでいう「名言タイピング」とは何かを説明しよう。
タイピングについて
まず、「タイピング」とは、パソコンなどでキーボードを使って文字入力を行うことである。
今はスマートフォンが広く普及し、プライベートやビジネスでのちょっとした相談や連絡はスマートフォンを活用する場面が多い。
しかしながら、仕事や学業と真剣に向き合うならば、やはり必要になるのが「パソコン」である。
そのため、当面の間、人類は「キーボード入力」からは逃れられない運命なのである。
ブラインドタッチについて
この「キーボード入力」について、早く効率的な文字入力を行うためには、手元を見ずに文字入力を行う「ブライドタッチ」が必要だとされており、そのための練習法や、タイピング練習用ソフトなどが存在する。
練習法としては、ホームポジションや指の動かし方をあらかじめ決めておくという方法が広く採用されている。
名言タイピングについて
ブラインドタッチを練習しようにも、ただひたすら「あいうえおかきくけこ…」と打ち続けていても何の練習にもならない。
現実的にパソコンを使う場面は、他者に何かを伝えるために意味のある文章を作成する時だからである。
そこで考案されたのが「名言タイピング」である。
アニメや漫画、ドラマ、小説、歴史上の偉人、有名スポーツ選手、などの名言や格言をその練習の題材とし、キーボード入力の能力向上と合わせ、名言や格言から人生の教訓やヒントを得ようという試みである。
単調で退屈になりがちなタイピング練習。
しかし、「名言」を織り交ぜることで、自分の好きな漫画や憧れの人物が発するセリフや思考を目の当たりにすることにより、その時間が有意義に感じられるというねらいがある。
ハイキュー!!の名言タイピングがヤバい理由
さてそれでは本題に戻るとする。
なぜ「ハイキュー!!」の名言タイピングがヤバいのか。
1つ目の理由「既視感」
これは当該漫画に限る話ではないが、自分が好きで熱中する漫画やアニメは、誰もが少なからず3回以上は鑑賞し、強烈なインパクトとともにその名シーンが脳裏に焼き付いているものである。
そのため、たとえ問題として出題されても大体どのような単語が使われ、どのような文章構成になっているか分かってしまう。
要するに「予定調和」になってしまうのである。
スポーツや語学の勉強にも通ずるところがあるのだが、基礎の反復は非常に大事である。
ただしかし、基礎の反復の先の「応用」も見据えなければ能力の幅は広がらない。
正解が分かっている問題を繰り返し解けば一定のレベルまでの能力向上は見込めるだろう。
ただその先の壁を破るキッカケは、いかに応用・イレギュラーの場面に遭遇するか、である。
「予定調和」による「既視感」。
その影響による能力向上の限界。
これが第1の理由である。
2つ目の理由「中毒性」
上述のとおり「ハイキュー!!」の舞台は高校のバレーボール界である。
さらに週刊少年ジャンプ特有の「努力・友情・勝利」の世界観と相まって、それぞれのキャラが発する名言・格言がとても眩しく光り輝いている。
「逃げる方が 絶対後からしんどいって事は もう知ってる」
「何かを始めるのに“揺るぎない意志”とか”崇高な動機”なんて無くていい 成り行きで始めたものが少しずつ大事なものになっていったりする スタートに必要なのはチョコっとの好奇心くらいだよ」
短く熱く叫ぶパターンも、長く冷静に語るパターンも揃っており、仮に名言の宝庫ランキングをつけた場合、確実に上位に食い込むポテンシャルを秘めた漫画である。
しかしながらこれが問題なのである。
キラキラした甘美な言葉には、エナジードリンクやフォートナイトばりに中毒性があるもの。
大抵の人が「キーボード入力」を必要とする場面は、おそらく大学生や社会人になってからまもなくぐらいだと思われる。
なぜなら、これからの時代はともかく、現時点では高校生ぐらいまでは圧倒的に「手書き」が中心だからである。
要するにまだまだ「多感な時期」から抜け出し切れていない「敏感なお年頃」である。
こうした人間が、漫画やアニメの鑑賞のみならず、一つ一つのキラキラとした名言を主体的に能動的に入力し続けるとどうなるか。
ある意味、自己催眠の完成である。
ただ、スポーツで好成績をおさめる人や著名な舞台俳優などは、強烈なプレッシャーやストレスの中、自身のメンタルコントールの一環として自己催眠を活用しているという話もある。
そのため、己肯定感の向上やチャレンジ精神の醸成にあたっては、一般の人にとっても大切なこととも言える。
問題なのはその「中毒性」。
どうしても心地よい言葉や刺激的なフレーズを繰り返しインプットし続けると、悦に浸ってしまうもの。
この「中毒性」を第2の理由とし、凡人がこのステップを踏んだ場合の末路が次の「第3の理由」となる。
3つ目の理由「非現実」
高校の部活における部員のセリフが果たして日常生活の中でどこまで通用するのか。
上述のとおり、ハイキュー!!の世界観(高校生)と、実際にタイピングを必要とする人間の年齢層(大学生or社会人なりたて)にわずかなズレが生じてしまうのである。
実はこの「わずかな」が曲者なのである。
例えば「名言」の対象があまりにもファンタジーな世界の場合、その名言に含まれる単語や文章構成は現実とかけ離れているケースが多く、現実世界で使う場面は仲間内でのネタや個人の頭の中で思い浮かべる程度に留まるだろう。
例「さすがディオ! おれたちにできない事を平然とやってのける そこにシビれる! あこがれるゥ!」
また、それなりに日常生活を題材にしているものであっても、その世界観と当の本人との年齢層に大きな乖離がある場合にも、現実世界で当該「名言」を活用しようなんて発想にはならないはずである。
例「悪いことをした時はごめんなさいって言うんだゾ。幼稚園じゃみんなそうしてるゾ。」
これらを踏まえ考察すると、今回のテーマである「ハイキュー!!」と「名言タイピング」は絶妙に「現実に近い非現実」なのである。
そう、現実において類似する場面・ケースに遭遇しそうな一方で、当該非現実な「名言」は役に立たなかったり、的外れになってしまうのである。
これが第3の理由「非現実」である。
さて、それでは何が起こるか。
ある日のAさん
とある新社会人のAさん。
第1の理由により「既視感」を感じるほどハイキュー!!の名言がインプットされている。
第2の理由によりハイキュー!!名言タイピングを通じて、もはやその世界の一員であるかの如く「中毒」になっている。
連日深夜まで名言タイピングを繰り返すAさん。
疲労が溜まって、とうとう寝過ごしてしまい重要な会議に遅刻してしまった。
その会議資料の準備はAさんの上司であるB係長がすべてやることに。
遅刻してきたAさんに対し、B係長は優しく諭すように改善策を提案する。
※「優しく諭す」の背景には昨今の「パワハラ撲滅」の社会的・全社的な方針を受けてのものである。B係長の人柄や性格とは関係ない。
しかしながら、Aさん自身は「タイピングの練習=仕事」「仕事=上司の指示」という特殊なワード変換を頭の中で実行。
優しく諭すように言われようが、改善するのはB係長の教育方法や会社の方針である、と言わんばかりの態度。何とか、B係長に言い返してやりたい、上げ足をとってやりたい。
そんな態度のAさんに対し、B係長の言葉の端々に怒りや焦りが混じり始める…
その様子を見たAさん…
繰り返しインプットし続けたハイキュー!!のあの場面…
昨夜のタイピング練習で脳裏にこびりついているあのフレーズ…
ほんの僅か
いらだちと焦りを含んだ綻びを
まってたよ#ハイキュー #ハイキュー好きさんと繋がりたい #ハイキュー好きな人と繋がりたい #ハイキュー好きと繋がりたい #烏野 #月島蛍 pic.twitter.com/ZfQ2oNLmwH
— あまない (@kanoka1557) September 19, 2020
「ほんの僅か いらだちと焦りを含んだ 綻びを まってたよ」
こうしてこの会社において、Aさんは「ヤバい奴」という称号を得ることになったのである。
結論
以上のとおり、ハイキュー!!の名言タイピングがヤバい理由がお分かり頂けただろうか。
ハイキュー!!そして週刊少年ジャンプの世界観、タイピング練習の必要性を感じ始める年齢層、これらが悪い意味でマッチした場合、「ヤバい奴」を生産することにつながりかねない。
ただしかし、矛盾を孕むことを大前提にこれだけは言いたい。
類似する状況にも関わらず、もはやこうした一つ一つの問題すら河原の砂利石のごとく些末なことと思える平成の世が作り出した圧倒的名言がある。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
君は愚者か。それとも勇者か。
しかしこれでは肝心の「タイピング能力向上」の問題が何も解決されない。
ここまでの記事を読んでも、君はなおハイキュー!!の名言タイピングを続けるつもりか?
否、君はもう虚構に生きる愚者ではない。
現実に向き合い、突き進む「勇者」である。
タイピング能力はパソコンを使う者にとって、基礎中の基礎。
いわば、できて当たり前、大前提、取り立てて賞賛すべき能力でもないもの。
ただ、この一歩から可能性は無限に広がる。
デジタル庁の設置、民間企業から各自治体に至るまで様々な形でのDX(デジタル・トランスフォーメーション)戦略、小学校におけるプログラミング授業…。
いまや日本はデジタル後進国の汚名返上に向けた機運が高まりつつある。
こうした状況下、タイピングによってパソコンに触れた後の未来は無限大である。
やるなら「独学でタイピング練習」なんて「中途半端なこと」をしてはいけない。
パソコンスクールに通い、徹底的に鍛えるんだ。
世の中のオンライン化の流れにより在宅学習の講座も多く展開されているが、やはり人による直接指導は効果が大きい。
従来に比較して、パソコンスクールの質も大きく向上している。
タイピングをはじめ、ホームページ作成、プログラミング、ネットワーク管理からセキュリティ対策まで、君の意識次第でICTにおけるあらゆる能力を身に着けることができる。
「ウィンドウズ」や「インターネット」、「グーグル」や「アイフォン」といった言葉が誕生し始めてから久しい。
しかし、世の人々の大半は、まだアナログで原始的な生活を営んでいる。時代に取り残されつつあることを知らずに。
君が先駆者(パイオニア)だ。
サークル、クラス、係、課、どんな小さな単位の集団でもいい。
能力をアピールするんだ。
頼りにされるんだ。
一目置かれるんだ。
「君がいて良かった」
そして、風穴をこじ開けるんだ。
今からでも遅くない。
パソコン検定、プログラミング、ネットワーク技術、行く先はどんなテーマでもいいと思う。
もう一度言う。
「タイピング」をマスターするにはスクールで徹底的に鍛える。
そこから「勇者」である君の未来は無限大に広がる。